オバマ大統領はかなりのリスクを冒して広島にきた。
現役の大統領としては、当然のこととして原爆投下の過去を簡単には否定できない。
現役の大統領としては、当然のこととして原爆投下の過去を簡単には否定できない。
オバマ大統領の広島演説には、様々な政治的な配慮を含む表現が秘められていた。
演説の冒頭は、「71年前のよく晴れた雲の無い朝、空から死が降ってきて世界は変わった」となっている。
「爆弾が降ってきた」と言うと、「誰が落としたんだ」と問い返したくなるが、「死が降ってきた」とすることで、まるで運命づけられたことのようなニュアンスが出て、問い返しにくくなる。
そして「我々はなぜここ広島を訪れるのか」と問いかける。
すると「ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重ななことか」と、17分に及んだ演説の最期に冒頭と照応する言葉が出で来る構成になっている。
すると「ここ広島で、世界は永遠に姿を変えてしまった。しかし今日、この町の子どもたちは平和の中に生きている。なんと貴重ななことか」と、17分に及んだ演説の最期に冒頭と照応する言葉が出で来る構成になっている。
さらに「広島と長崎は、核戦争の夜明けとしてではなく、我々の同義的な目覚めの始まりとして記憶されるだろう」と、核の世紀の始まりというネガティブなことをポジティブに転換している。
また、この演説では様々な戦争の被害者にも触れている。
第二次大戦では6000万人が死んだと述べているが、ここでユダヤ人の被害に触れないとアメリカのユダヤ人、イスラエルが怒る。
しかしユダヤ人という固有名詞を出すと他にも犠牲になった民族があると批判されるので、さりげなく「ガス室に」という言葉が入っっている。
第二次大戦では6000万人が死んだと述べているが、ここでユダヤ人の被害に触れないとアメリカのユダヤ人、イスラエルが怒る。
しかしユダヤ人という固有名詞を出すと他にも犠牲になった民族があると批判されるので、さりげなく「ガス室に」という言葉が入っっている。
「世界をみれば、非常に原始的なライフルや樽爆弾がどれだけ大きな破壊力を持つか分かる」というくだりがあった。
「樽爆弾」はシリアでアサド政権が反政府勢力に対して使用したものである。
これも「シリア内線」と名指ししてしまうと「他の内戦はどうなるのか」という反発が出るので、固有名詞は使わず、「樽爆弾」という言葉を使うことでシリア内線の関係者は自分達に触れてくれたと思える。
「樽爆弾」はシリアでアサド政権が反政府勢力に対して使用したものである。
これも「シリア内線」と名指ししてしまうと「他の内戦はどうなるのか」という反発が出るので、固有名詞は使わず、「樽爆弾」という言葉を使うことでシリア内線の関係者は自分達に触れてくれたと思える。
このように練りに練った演説であり、そして全体として主語が無い文章になっていて、謝罪というよりも何か悲劇があったという言い回しになっている。
これが原爆慰霊碑の「安らかに眠って下さい、過ちは繰り返しませぬから」という言葉と見事に呼応していた。
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