明治政府の税収の大きな柱は酒税だったという。
日清戦争の12年前の明治15(1882)年に、日本は韓国王朝をめぐり清との間で起こった壬午事変を機会に軍備を増大させたが、主に酒税の増税で賄われた。
明治11(1878)年には1石1円だったものを、明治13(1880)年には1石2円に、明治15(1882)年には1石4円に引き上げている。
1石とは一升瓶100本分のことである。
明治15年の酒の値段は1石20円だったので、酒代の20%が酒税だった。
1石とは一升瓶100本分のことである。
明治15年の酒の値段は1石20円だったので、酒代の20%が酒税だった。
この明治15年の酒税増税で年600万円以上の増収となっている。
明治15年から日清戦争までの陸軍の増強費が年400万円、海軍の増強費が年300万円だったので、軍事費の増加分はほぼ酒税増税で賄ったのである。
明治15年から日清戦争までの陸軍の増強費が年400万円、海軍の増強費が年300万円だったので、軍事費の増加分はほぼ酒税増税で賄ったのである。
そして日清戦争が勃発した時には、特に増税をしておらず、日本は酒税だけで日清戦争を戦い抜いた。
大正時代に秋田の大曲税務署が出した密造酒に対する警告書には、「わが国では20個師団の兵を置くには1年に8000万円を要し、60万トンの海軍を保つには1年5000円万円を要するから、結局酒税1億円と砂糖税3200万円だけあれば、陸海軍を備え置いてありあまるわけである」と記されている。
大正時代の酒税による税収は1億円あり、それだけで陸海軍の年間費用が賄えたというのである。
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