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2016年3月16日水曜日

石打ちの刑と、首を切るのと、どちらが厳しいか、理解できるヒントとして「油山事件」というのがある。
福岡市南区に油山という山があり、1945年にB29が無差別爆撃をした。
学校や民家に爆弾を落とすことは戦時国際法違反で、死者を出した時は、軍法会議を行って、その判決で死刑を言い渡すのは、国際法上は合法となっている。
それでパイロットと爆撃手が死刑判決を言い渡され、その執行が銃殺だったら、何の問題も無かったのだが、斬首にしていた。
そうしたら、戦後にB・C級戦犯として関係者が追われたのである。
首を切られた兵士というのは、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の考え方だと「この世の終わりに、人間はどう復活するか。首が落っこちたら復活できないじゃないか」という恐怖になってしまう。
首を切り取るということは、「死後の命がない」という意味になるのである。
だから彼らにとっては、首が落ちない石打ちの刑よりは、首を切ってしまう方が怖いのである。
絞首刑で首がつながっていて、完全にちぎれないという事には意味があるのである。

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