我々は時間が経つとともに物事は進歩すると考える。
ところが、日本人を含めて、時間が立てば進歩していくという考えは、ここ200年ぐらいの流行にすぎない。
進歩というのは、むしろフランス革命以降に出てきた考え方である。
ところが、日本人を含めて、時間が立てば進歩していくという考えは、ここ200年ぐらいの流行にすぎない。
進歩というのは、むしろフランス革命以降に出てきた考え方である。
例えば、「初心忘れるべからず」という諺のように、初心の方が正しいという考え方もある。
時間の経過とともに、事態はだんだん悪くなっていくという考え方を「下降史観」という。
時間の経過とともに、事態はだんだん悪くなっていくという考え方を「下降史観」という。
「明治維新」はどうして「明治改革」でないかというと、「維新」というのは過去に戻ることによって良くなるという考え方で、明治維新の時に議論となった。
我々はどこまで戻れば良いのか、建武の中興か、それとも律令制か、それとも天地開闢まで戻る必要があるのか、という議論が日本の保守陣営の中で当時展開されたが、「過去に正しいものがある」という原理主義的な考え方は、どこの国にもあるのである。
我々はどこまで戻れば良いのか、建武の中興か、それとも律令制か、それとも天地開闢まで戻る必要があるのか、という議論が日本の保守陣営の中で当時展開されたが、「過去に正しいものがある」という原理主義的な考え方は、どこの国にもあるのである。
キリスト教のプロテスタントも、イエス・キリストの時代に戻れという「復古維新運動」である。
だから、イスラム教シーア派のハンバリー法学派のように「ムハンマドが生まれた頃のアラビア半島が一番良かった」という考え方が出てくるのである。
ちなみに、時代を経れば経るほど人類は進歩していくというのが「進歩史観」で、よくなったり悪くなったりしてグルグル回っていてもトータルでみたら良くも悪くもならないというのが「循環史観」である。
この3つに歴史観は分かれる。
この3つに歴史観は分かれる。
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