国富論で有名なフレーズである「神の見えざる手」と言う文書は、第4篇の第2章にあり、中盤にならないと出てこない。
つまり、本人はそれほど重要な言葉だと思って書いた訳ではないのである。
「個人が利益を追求することが即ち社会の利益にもつながる」
といったこの文章だけを読めば、「自分の利益を追求することが社会にとって一番いい」と解釈し、強欲的資本主義者の免罪符として用いられてしまった。
といったこの文章だけを読めば、「自分の利益を追求することが社会にとって一番いい」と解釈し、強欲的資本主義者の免罪符として用いられてしまった。
しかし、この文書が入っている第4篇第2章は、「独占貿易」「輸入規制」への批判がテーマとなっている。
この章で、アダム・スミスは、イギリス政府がやっている独占貿易と輸入規制を廃し、自由取引をしたほうが結果的に国のためになるという主旨で書かれており、その表現の一つとして、「神の見えざる手に導かれて」という言葉を使っている。
この章で、アダム・スミスは、イギリス政府がやっている独占貿易と輸入規制を廃し、自由取引をしたほうが結果的に国のためになるという主旨で書かれており、その表現の一つとして、「神の見えざる手に導かれて」という言葉を使っている。
あまくまでも、政府が行っている独占と輸入規制を辞めさせるための論法の一つだったのである。
国富論の全編を通して読めば、「神の見えざる手」というのは、「人はただ自分の利益追求だけを考えればいい」という主旨でない事は明らかである。
0 件のコメント:
コメントを投稿