1980年代半ばにゴルバチョフのペレストロイカが始まるまでは、ソ連は非常に閉ざされた国家で、外国人が旅行をするのも一苦労だったという。
当時、ソ連を旅行する時には、インツーリスト(ソ連国営旅行社)と提携している日本の代理店から、航空券あるいは船舶券、鉄道券、ホテルの予約だけでなく、空港や駅からホテルまでのタクシーと出迎え人、さらに一都市3時間の観光ガイドを雇う契約をして、費用を全て振り込まないと、ビザが発給されなかった。
当時のソ連のビザは挿入紙方式で、現在の北朝鮮と同じで、パスポートの本体にスタンプを押さないようになっている。
これは、東西冷戦下でスバイ活動や革命運動をやっているから、ソビエトに行ったという渡航の記録が残るとまずい人が沢山いたからである。
だから観光客も含めて全員、渡航記録が残らない仕組みになっていた。
これは、東西冷戦下でスバイ活動や革命運動をやっているから、ソビエトに行ったという渡航の記録が残るとまずい人が沢山いたからである。
だから観光客も含めて全員、渡航記録が残らない仕組みになっていた。
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