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2016年9月4日日曜日

鎌倉初期に金融の資本を担っていたのは南都北嶺で、奈良や京都の大寺だった。
比叡山は当時の日本銀行だったという人もいるぐらいで、初穂料とか荘園からの収入、牛馬の売買や座の許可、様々な通行権や航海権などを含めると、比叡山に集まるカネというのは莫大なものになった。
そうすると、それを運営する専門のお坊さんが必要になって、そういう人を借上法師といった。
これはバチカンと同じで、バチカンにも銀行担当の神父が存在した。
スペインやポルトガルが大航海時代に貿易であれだけ稼いだのに、資本主義が生まれなかったのかというと、カトリック信者は最後に教会に寄進してしまうからである。
カトリックが強いつころは、儲けて蓄積したお金を投資ではなく、寄進に回してしまうので、スペインやポルトガルでは資本主義が頼律しなかったのである。
アメリカでも、ドル札を見ると「IN GOD WE TRUST」と書いてある。
貨幣という一つの経済シンボルまでも、宗教的な色彩を否応なしに帯びざるを得ないのである。

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