昭和初期の農家の経済基盤は非常に脆弱で、世界恐慌で農村は大打撃を受けた。
昭和5年当時の物価は20~30%下落し、米は半値以下、繭は3分の1以下になった。
昭和7年当時、農家の1戸平均の借金は840円で、農家平均年収723円を上回っていた。
昭和7年当時、農家の1戸平均の借金は840円で、農家平均年収723円を上回っていた。
さらに昭和9年には東北地方では冷害による不作で、農村はまた大打撃を受けた。
昭和6年の山形県最上郡西小国村の調査では、村内の15歳から24歳までの未婚女性467名のうち、23%にあたる110人が家族によって身売りを強いられたという。
警視庁の調べによると、昭和4年の1年間だけで、東京に売られたきた少女は6130人だった。
警視庁の調べによると、昭和4年の1年間だけで、東京に売られたきた少女は6130人だった。
農村が貧しい生活を余儀なくされる一方で、一部の財閥が巨大な富を独り占めしていた。
終戦時、三井、三菱、住友、安田の4大財閥だけで、全国の会社払込資本金の49.7%を占めており、資産額ではさらに高い比率を占めていたとされる。
終戦時、三井、三菱、住友、安田の4大財閥だけで、全国の会社払込資本金の49.7%を占めており、資産額ではさらに高い比率を占めていたとされる。
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