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2016年12月10日土曜日

昭和16(1941)年7月24日に、日本はフランスのヴィシー政府から無理やり同意を取り付け、南インドシナに進駐を開始した。
南部仏印は軍需物資となる生ゴム生産の90%、錫生産の60%を占めており、日本が押さえれば、アメリカとしても打撃が大きいため、アメリカは一気に対日戦争に向かうことになる。
日本の南部仏印進駐会社の2日後、アメリカは日本に対し「在米資産の凍結」を実施し、イギリス、オランダもアメリカに同調した。
この資産凍結は、日本経済を破綻させるほど凄まじい威力があり、事実上の宣戦布告に近い。
資産凍結とは、アメリカにある日本人の資産が取り上げられるというようなレベルではなく、日本が国債貿易から締め出されることを意味していた。
当時のアメリカ・ドルは事実上、世界で唯一の国際通貨であり、当時の日本にとって唯一の国債通貨だった。
このドルが、在米資産凍結によって使えなくなり、世界貿易における代金の支払いができなくなったのである。
そして、「日本の在米資産凍結」によって、横浜正金銀行ニューヨーク支店が危機的状況となってしまった。
横浜正金銀行は戦前の日本の外国為替業務を一手に引き受けていた「国策銀行」である。
横浜正金銀行は、日本がドル建てで発行した公債の引き受けなどを行っており、昭和16(1941)年末までに、公債の利払いと償還金として850万ドルを支払わねばならなかった。
しかし、横浜正金銀行は600万ドルの手持ち資金しかなかった。
昭和16(1941)年10月24日、米国務次官補から「横浜正金銀行のニューヨーク支店は破綻。凍結している日本の保有ドルは恒久的に封鎖する」と伝えられた。
横浜正金銀行ニューヨーク支店の破綻が決定的になった時、日本は「日米開戦」を決断するのである。
この1週間後の11月1日、大本営政府連絡会議により「日米開戦」が事実上決定する。

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