日本が満州事変を起こして満州国をつくり、日中の戦闘が中国全土に拡大しても、アメリカは当初、抗議はするもそれ程強硬な姿勢はみせていなかった。
戦前の日本とアメリカは経済的に深いつながりがあった。
第一次大戦終結から第二次大戦開始までの間、日本の最大の輸出相手はアメリカであり、日本の輸出全体の4割をアメリカが占めていた。
アメリカにとっても、カナダ、イギリスに次いで、日本は三番目の輸出相手だった。
アメリカの日本への輸出は、中国への輸出の22倍もあり、当時アメリカ領だったフィリピンへの輸出と比べても3倍あった。
第一次大戦終結から第二次大戦開始までの間、日本の最大の輸出相手はアメリカであり、日本の輸出全体の4割をアメリカが占めていた。
アメリカにとっても、カナダ、イギリスに次いで、日本は三番目の輸出相手だった。
アメリカの日本への輸出は、中国への輸出の22倍もあり、当時アメリカ領だったフィリピンへの輸出と比べても3倍あった。
日本は、アメリカにとって、満州よりも日本の方が遥かに大事な市場だったため、満州のことではアメリカは戦争までしてこないという計算があった。
しかし、昭和13(1938)年11月に日本が世界に向けて発した「東亜新秩序」により、英米と結んできた中国における協定を全て反故にし、「東アジアでは日本が中心になって、新しい秩序を建設する」と宣言した事を、きっかけにアメリカは日本に対して強硬姿勢を取るようになった。
翌年の昭和14年(1939)年7月、アメリカは日本との通商航海条約の破棄を通告すると共に、蒋介石の国民党へ積極的な支援を開始するここになる。
0 件のコメント:
コメントを投稿