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2016年10月15日土曜日

1600年9月15日の「関ケ原の戦い」の勝敗を左右したのは手紙による水面下での東西両軍の勧誘合戦だった。
この情報戦を制した徳川家康は、出陣前の1ヶ月の間に122通もの手紙を出している。
その手紙の内容は簡潔で、領地を約束する同じ形式の文書が各地に送られている。
その中でも、関ケ原の戦い直前に西軍の上杉景勝から同盟の誘いが来て、家臣団が分かれていた伊達正宗には、領土を「御家老衆中」にと他の書状にはない言葉が入っており、領土を餌に家臣団をまとめよ、という含みを持たせていた。
手紙が正宗だけでなく、家老にも読まれることを、計算して書かれている。
手紙というものは、どう読まれるかということを計算して書かねばならない。
自分の言いたい事だけを書いてもダメで、読み手が嬉しく読んでくれるのか、腹を立てて読んでくれるのか、という事を考えて書かないと、効果はない。
相手が何を希望しているかをよく考えて、その相手の希望に合うように、こちらの情報を与えていく事が大事である。
それができるかどうかで、同じ手紙を書いても、意味がある手紙になるか、効果のない手紙になるかが、決まってくる。

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