Amazon

2013年11月18日月曜日

東京大学は、1897年(明治30年)に京都大学ができるまで日本で唯一の大学だった。

各官庁が管轄していた教育機関が合わさって東京大学となった。

文部省が管轄していた開成学校(後の文学部、理学部)と医学校(後の医学部)
司法省が管轄していた法学校(後の法学部)
工部省が管轄していた工学校(後の工学部)
農商務省が管轄していた農学校(後の農学部)

当初、大学の自治などは全くなく、総長は文部大臣の任命で決まり、就任後も「文部大臣の命を承け帝国大学を総轄す」(帝国大学令第六条)となっていた。
東京大学の使命は、行政官僚の供給で、近代国家の官僚は殆ど法律職だった為、法学部が担った。

戦後、米国が日本の戦争体制の解体をめざした戦後改革により、戦前の教育体制も解体され、大学を前期課程と後期課程に分け、前期課程を新設の教養学部によるリベラル・アーツ教育を主体とする事になった。
その担い手として、それまでリベラル・アーツ教育に一番近い組織として旧制高校が選ばれ、旧制一高が東京大学に吸収され、教養学部となった。

0 件のコメント:

コメントを投稿