伝統的な国体のありようは、14世紀の北畠親房の著作『神皇正統記』に既に書かれている。
日本歴史上、天皇制が崩壊し、皇祖皇宗の伝統が途切れてしまう危険が2度あった。
1回目は南北朝時代で、2回目は第二次大戦の敗戦時だった。
1回目は南北朝時代で、2回目は第二次大戦の敗戦時だった。
『神皇正統記』は、戦前の陸軍中野学校でテキストとして使用された書物だが、日本という国家の原理を、当時の世界、インド(天竺)や中国(震旦)と比較することによって明らかにしている。
北畠親房は、日本は天皇をいただく神の国であり、内在性の中に超越性があるから、自己の原理を他者に押しつけない、宗教や文化について多元主義、寛容の精神を持っていると説いている。
北畠は敵対する権力者の足利尊氏のことを「法もなく徳もなき盗人」と堂々と本の中に書いているのに、尊氏は『神皇正統記』を焚書にしなかった。
殺し合いをしている相手側が書いた書物であっても尊重すべきは尊重すべしと、尊氏側にも寛容の精神があったのである。
殺し合いをしている相手側が書いた書物であっても尊重すべきは尊重すべしと、尊氏側にも寛容の精神があったのである。
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