終戦時の日本が錯覚したのは、降伏後に直ぐにマッカーサーが最高指揮権を持つと信じ込んでいた事である。
正式にマッカーサーが連合軍最高司令官になるのは、日本が降伏文書に調印した9月2日になってからだった。
当時の外務省も、後からスターリンもポツダム宣言に署名したのだから、マッカーサーにはソ連側をも拘束する権限があると誤解していたようである。
8月21日頃、満州で攻撃を続けてくるソ連軍に対して、すでに天皇の大命が発せられたのだから即時攻撃停止をソ連軍に要請してほしいと、外務省はマッカーサーに必死の訴えの電報を打っている。
関東軍総司令官の山田乙三は、満州国大使も兼任しており、極東ソ連軍総司令部に、16日に戦闘行動停止を申し入れている。
関東軍の通信網はソ連の猛攻でずたずたになっていたので、新京のラジオ放送を通じて呼びかけたという説もあるくらいだった。
そのせいか、ソ連側からの回答がきたのが17日夜だった。
関東軍の通信網はソ連の猛攻でずたずたになっていたので、新京のラジオ放送を通じて呼びかけたという説もあるくらいだった。
そのせいか、ソ連側からの回答がきたのが17日夜だった。
結局、関東軍総司令部が極東ソ連軍との直接交渉を持てたのは、それから2日後の8月19日午後3時半になってからだった。
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