2013年にNSAの分析官だったエドワード・スノーデンが大量の機密情報ファイルを外部に持ち出したが、その中に日本の諜報活動について記したジャパン・ファイルがあった。
そこに、これまで歴史の表舞台に殆ど出ることが無かった日本の諜報機関が、前後にある事件によってその存在が世界に知られる事になったという記述があった。
1983年の大韓航空機007便撃墜事件で、日本の傍受した音声がソビエトの誤った行為を暴く決定的な証拠となったと書かれている。
1983年の大韓航空機007便撃墜事件で、日本の傍受した音声がソビエトの誤った行為を暴く決定的な証拠となったと書かれている。
事件当時、北海道稚内には防衛庁の通信傍受施設があり、ソビエトの戦闘機と地上との通信を傍受していたのである。
傍受した音声が1983年に国連安全保障理事会で公表され、ソ連は民間機撃墜の事実を認め、日本の諜報能力の高さを世界に知らしめた。
傍受した音声が1983年に国連安全保障理事会で公表され、ソ連は民間機撃墜の事実を認め、日本の諜報能力の高さを世界に知らしめた。
ところが、ジャパン・ファイルには、全く異なる事件の構図があった。
日本側の音声テープを公表したが、テープは2種類存在していたが、1だけを提出したと書かれていた。
アメリカのNSAも独自に傍受していたが、NSAの情報は最高機密なので公表しなかったのである。
その結果、ジャパン・ファイルには、「殆ど表に出ることが無かった日本の諜報機関の関与が公になった。将来に渡りその交信チャンネルが機能しない状況に追い込まれた」と書かれている。
日本側の音声テープを公表したが、テープは2種類存在していたが、1だけを提出したと書かれていた。
アメリカのNSAも独自に傍受していたが、NSAの情報は最高機密なので公表しなかったのである。
その結果、ジャパン・ファイルには、「殆ど表に出ることが無かった日本の諜報機関の関与が公になった。将来に渡りその交信チャンネルが機能しない状況に追い込まれた」と書かれている。
日本の諜報機関は、ジャパン・ファイルの中では「DFS」という名称で繰り返し登場している。
DFSはNSAの日本における重要なパートナーで、その関係は50年以上にわたる、と書かれている。
DFSはNSAの日本における重要なパートナーで、その関係は50年以上にわたる、と書かれている。
DFSとは防衛省情報本部電波部を指す。
電波部は組織図さえ明らかにられておらず、所属している自衛隊隊員には厳しい守秘義務が課されている。
電波部は組織図さえ明らかにられておらず、所属している自衛隊隊員には厳しい守秘義務が課されている。
ジャパン・ファイルにはDFSと深い関係を持つ組織として、CIRO(内閣情報調査室)も頻繁に登場する。
DFSの傍受拠点は全国に6カ所あり、24時間体制で周辺国の軍事施設、軍艦、軍用機が発する電波を傍受している。
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