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2014年1月16日木曜日

ペリーが浦賀にやってきたのは1853年7月8日。
4隻の黒船で煙突から煙を出して、一気に太平洋を渡って、東からやってきたのだと思っていた。
捕鯨の為に、またムチャな要求をするなぁ~、と思っていた。

しかし事実は、1か月前の6月6日に那覇に寄って、西からやって来ている。
アメリカの東海岸を出発して、アフリカのケープタウンを回って、インド洋を越えて、マラッカ海峡を通って、7か月半かけて浦賀までやって来たのである。

さらに、「黒船」というのも、防腐剤として木材にタールを塗っていたから黒かっっただけで、鉄製の船では無かった。
しかも、4隻のうち2隻は、ただの帆船だった。

ペリーが江戸幕府を恫喝してまで、強く開国を迫ったのは、捕鯨船への補給や海難時の船員保護ではなく、実際にはカリフォルニア=上海間の最短航路(20日)の確立が、当時のアメリカの国家的要請だった。
この航路が実現すれば、中国まで数か月かかるイギリスに圧勝し、中国貿易をめぐる競争に勝利できたのである。

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