第二次世界大戦時に使用された日本独自の兵器で有名なのは、明治38年に開発された「三八式歩兵銃」である。
つまり、日露戦争で旅順港が陥落したのが、昭和38年1月、奉天会戦が昭和38年3月で、それ以降、陸軍は殆ど実戦を経験していないため、山ほど製造した銃と銃弾が余っていたので、なくなるまでこの「三八式歩兵銃」を使用したのである。
殺傷能力が低い銃だったので、敵側には戦死者よりも負傷者が沢山出るが、米軍は負傷兵を見捨てないので、後方へ送るために一人の負傷兵に三~四人の兵が付いていくことになり、それだけ戦力を弱める効果があったという。
実際に太平洋戦争中にペニシリンができて、負傷兵が治るので、ますます放置せずに後送することになり、確かに米軍の力をそぐ効果はあったかもしれない。
ちなみに日本には、ペニシリンは無かったので、負傷兵が出たら前線に置きっぱなしだった。
ソ連軍も負傷兵は放置して進んでしまうので、日本の「三八式歩兵銃」の効果は低かった。
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