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2014年2月23日日曜日

日本で一番最初に学生がストライキを起こしたのは同志社大学だった。

特に神学部の連中が中心となって起こしたが、新島襄はその学生たちを退学にしなかった。
その代り、杖を持ってきて思いっきり自分の左手を叩いた。
それも普通の叩き方ではなく、本気で叩いて、骨が折れて肉が飛び散るほどで、新島襄は左手が生涯不自由になった。

ストライキというのは秩序に対する藩閥で、学生にも言い分はある
しかし、秩序を壊したことについて誰かを罰しないといけない。
それは教育者としての自分の責任だということで、新島襄はそういう責任の取り方をした。

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