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2014年4月29日火曜日

都立高校の凋落の原因は、昭和42年(1967年)に導入され、昭和56年(1981年)まで続いた「学校群制度」という愚策にあった。

高校受験戦争の過熱化に伴い、ナンバースクールを含めた複数の周辺校を群(グループ)としてくくり、受験生は群を受験させられ、合格者をアトランダムに郡内の高校に振り分ける仕組みにしてしまった。

また、都立高校の乱立も凋落の原因となった。
都内の中学生を都立高校に全入させよう、という運動もあり、昭和35年(1960年)時の都立高校(全日制)は117校だったのが、昭和40年には141校、昭和50年には169校、昭和55年には199校と急増し、昭和60年には208校に達している。

このため、中堅以下の都立高校は勉強しなくても入学できてしまう状況となってしまった。

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