エアバックを世界で最初に発明したのは小堀保三郎である。
1899年生まれの小堀は、小学校を出ると奉公に出て独学で機械職人の道を歩み、戦前から石川島播磨重工や大同工業などの大手企業向けに工場内搬送・運送機を製作する中小企業を経営していが、62歳で工場を譲渡し、1926年にグッドアイデアセンターを設立した。
1964年にエアバックの開発に着手し、「衝突時乗員保護システム」は衝撃加速度検出装置、弾性防護袋、気化ガス発生装置で構成された完璧なもので、現在のエアバックと比べても遜色のないものだった。
世界14ヵ国で特許を取得したが、実用化される前に特許が切れ、小堀は経済的に大きな果実を得る事は出来なかった。
小堀のアイデアは、当時はあまにも奇抜であったため、自動車メーカーから相手にされず、失意の中、開発費用の捻出に行き詰り、1975年に76歳で、東京・三田の事務所内で妻とガス心中している。
小堀のアイデアは、当時はあまにも奇抜であったため、自動車メーカーから相手にされず、失意の中、開発費用の捻出に行き詰り、1975年に76歳で、東京・三田の事務所内で妻とガス心中している。
小堀が自動車社会の発展に貢献した人々を顕彰する「日本自動車殿堂」入りしたのは、彼が自殺してから31年後の2006年だった。
顕彰理由は「芸術を愛したエアバックの考案者」と記されている。
顕彰理由は「芸術を愛したエアバックの考案者」と記されている。
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