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2015年10月18日日曜日

韓国の歴史教科書は、マルクス・レーニン主義的な発展史観がない代わりに、個人の有機や個人が歴史に果たした役割が、非常に重視された史観になっている。
特に日韓併合以降、その特異さが際立っていく。
日本人の感覚だと、日本史の教科書にも記載されている、近代以降の日韓関係で有名な人物の一人として、ハルビン駅構内で伊藤博文を暗殺した安重根が、きっと韓国の教科書の扱いも大きいと思うが、「安重根は満州のハルビンで伊藤博文を暗殺した」とあるだけである。
安重根以降、1923年「日本で国王の暗殺を企てた」朴烈、1928年に台湾で「日本の皇族を刀で襲う義挙」にでた趙明河、1932年に東京で天皇が乗った馬車に爆弾を投げつけた李奉昌、紀念式の檀上に爆弾を投げ日本の将軍や政府高官を暗殺した尹奉吉など、日本の植民地支配に抵抗した人物の列挙が続く。
暗殺の扱いの大小を見ると、伊藤博文を暗殺したくらいでは評価は低く、例え未遂に終わっても「玉」つまり天皇や皇族といった日本の支配層を狙った方が評価は高い。
結論から言うと「玉」をおとせなかったのは、勇気が足りなかったからだと戒められ、もっと「玉」を狙うような人物が多くいれば、歴史は変わっていたという見方である。
まず日本人は、この歴史教科書を読んで、我々は韓国からこういうふうに見られているのか、とビックリする必要があり、この現実を認識し自覚することから始めねばならない。
韓国側から日本の歴史教科書を読むと、何も書かれていないことに驚くだろう。

韓国の歴史―国定韓国高等学校歴史教科書 (世界の教科書シリーズ) 

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