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2015年10月11日日曜日

鎌倉市、逗子市、横須賀市にまたがる三浦半島内陸部に境界が画定できていない西部所有の不動産がある。
この地区には、半島中央部を縦貫する横浜横須賀道路(横横道路)が走っているが、これが建設される以前に、西武は道路施設用地を先行取得して巨額の利益を得ている。
堤康次郎が三浦半島に目を付けたのは古く、太平洋戦争中だった。
米軍の本土上陸作戦の予測地として相模湾が想定されており、本土決戦となる「コロネット作戦」の対象エリアが江の島から鎌倉にかけての海岸線だった。
その情報を得た堤康次郎は、軍部への売り付けを意図して、当該地区の土地を先行取得した事により、現在も鎌倉七里ケ浜周辺を中心に西武鉄道の分譲地が多くある。
日本の敗戦で「コロネット作戦」は幻となったが、先行取得した土地を、戦後の宅地ブームの中で転用し巨額の利益を得た。
七里ケ浜の宅地造成で出た大量の土砂の置き場として海浜を借用していたが、その近くに建設した七里ケ浜ホテルの付属施設として、改版に積上げた残土を固め、波打ち際にコンクリートで護岸工事をし、ホテルの客用駐車場を建設した。しかも、後にその土地の払い下げを受け、日本では珍しい私有海岸線を手に入れている。
海岸法の定めによって、日本では海浜の私有は認められていないが、コンクリート護岸ということで「海浜」ではないとされ、払い下げが可能になるという論法で手に入れた。
他にも、戦中・戦後にかけて、堤康次郎のもとに大量の鉄道関連資材が鉄道連隊から払い下げられており、それらを放出することの見返りとして、高田馬場=西武新宿間の路線免許を受けている。

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