田中角栄内閣が発足する1ヶ月前の1972年6月に出版された『日本列島改造論』は、一部地域に集中した工業の再配置、都市改造と「新25万人都市」の整備、これらの地域を結ぶ全国的なネットワーク整備により、経済の活力を日本列島全域に展開するという内容だった。
この本の出版は、田中角栄が通産大臣に就任して半年後に、通産省出身秘書官だった小長啓一氏に、国土開発・都市問題に関する自分なりの政策案の集大成を論文にしたいという相談がきっかけだったという。
この相談を受け、堺屋太一氏を含めた若手通産官僚、日刊工業新聞社の記者十数人が参加して、6~7時間のレクチャーを4回開き、全体の骨子を小長啓一氏がまとめ、執筆は各章ごとに担当分けをして、最終的に小長氏が文体を統一してまとめたという。
4回のレクチャーを全て聞いたのは小坂氏と早坂茂三氏だけだった。
はしがきと結びは田中角栄自身が書いたという。
4回のレクチャーを全て聞いたのは小坂氏と早坂茂三氏だけだった。
はしがきと結びは田中角栄自身が書いたという。
執筆作業時は、総裁選は意識しておらず、田中角栄からも「1年ぐらいかけて仕上げてくればいい」と言われていたのが、総裁選挙の3、4ヶ月前に田中派幹部の二階堂進氏から突然呼び出され、「田中さん、今度の総裁選挙で総裁候補になるだろうから、間に合う良いに用意してくれ」と言われ、慌てて休日返上で仕上げた結果、総裁選出馬のマニフェストとなった。
この本がベストセラーになって、田中角栄が「じゃあ、俺も読んでみようかな」と言ったという笑い話もあるが、小長氏から本の構成や趣旨は田中に逐一説明していたので、細目を読んでみようという事だったようである。
『日本列島改造論』
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