『昭和天皇実録』の中に、昭和21年8月14日に、御所内の花陰亭で終戦一周年を迎えての座談会が催されたという記述がある。
列席したのは、東久邇宮稔彦王、鈴木貫太郎、幣原喜重郎といった歴代の首相、吉田茂首相、石原湛山蔵相など時の閣僚だった。
そこで冒頭、昭和天皇は以下のように述べられたと記載されている。
「最初に天皇より日本の敗戦に関し、かつて白村江の戦いで敗戦を機に改革が行われ、日本文化発展の転機となった例を挙げ、今後の日本の進むべき道について述べられる」
白村江の戦いとは、663年に大和と百済2万7千の連合軍が、唐と新羅によって僅か2日で全滅させられた決定的な敗戦である。
この敗戦は日本を一変させ、初めて国防システムの必要性に目覚め、大宰府防衛のための山城、水城を築き、対馬から瀬戸内海を経て畿内に至るまで城塞を連ねて、のろしによる通信網を整えた。
同時に唐文化を猛烈に吸収し、律令制を取り入れ、半世紀後には平城京を樹立する。
同時に唐文化を猛烈に吸収し、律令制を取り入れ、半世紀後には平城京を樹立する。
ポツダム宣言受諾の「聖断」において、「将来にまた復興の光明」を望んだ昭和天皇は、敗戦をバネにして自己改革を成し遂げ、最盛を実現した自国の歴史を見据えていたのである。
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