現在のハンガリーは多くの難民が自国に入ってくるのを阻止しようと、セルビアとの国境に鉄条網を設置している。
かつて1989年当時のハンガリーは、オーストラリアとの国境にあった鉄条網を撤去した歴史がある。
東欧でいち早く民主化を進めたハンガリーは、自国民の逃亡を防ぐために国境に張り巡らされている鉄条網を恥と考えたのである。
東欧でいち早く民主化を進めたハンガリーは、自国民の逃亡を防ぐために国境に張り巡らされている鉄条網を恥と考えたのである。
その結果、当時の東ドイツ国民は、自由に行き来ができたチェコスロバキアに入りもさらにハンガリーへ入国した。
当時、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリーは社会主義国として刊行ビザの相互免除協定を結んでおり、容易に行き来できた。
当時、東ドイツ、チェコスロバキア、ハンガリーは社会主義国として刊行ビザの相互免除協定を結んでおり、容易に行き来できた。
ハンガリーに入ってしまえば、楽々とオーストリアに入国では、西ドイツ大使館に出頭して、亡命申請をすることができた。
こうして、多くの東ドイツ国民がハンガリーを経由して東ドイツに逃げ出した。
慌てた東ドイツ政府は、チェコスロバキアとのビザ免除協定を破棄し、自国民がチェコスロバキアに行けないようにした結果、東ドイツ国民が各地で抗議行動に出て、これが「ベルリンの壁」崩壊へとつながっていく。
当時のハンガリーの国境開放の決断が、ドイツの歴史を変えたのである。
かつて自国民に国境を開放したハンガリーが、今度は難民の受け入れを拒否しているという、歴史とは皮肉なものである。
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