キリスト教社会において、キリスト教と経済の関係について、有名な古典であるマックス・ウェバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、近代資本主義の成立とプロテスタントの倫理の関係性が考察されている。
お金持ちになって十分稼いでいても、無駄遣いをせずに、さらにお金を稼ごうとするのが、資本主義の精神であり、一生懸命働くから資本主義経済は発展したと考える。
マックス・ウェバーは、ドイツにおいてビジネスで成功している人の宗教を調べ、その結果、経済的に成功しているのは何れもプロテスタントであり、それもカルヴァン派であると気づく。
なせカルバン派だけが経済的に成功しているのか、そこに資本主義の精神と宗教的な倫理が関係しているのではないかと更に調べ、その結果、プロテスタントの考え方と、特に厳格なプロテスタントであるカルヴァン派の考え方が資本主義の精神を形作る上で自由様な役割を果たしている事に気付いた。
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つとも一神教であり、いずれも神によって世界が作られたのだから、いずれ世界は終わりが来るという基本的な考え方は兆通している。人間は死んでも世界の終りが来るまでずっと地中でその終わりを待ち、世界の終りが来たら死者はよみがえり、最後の審判を受け、天国に行くか地獄に行くか分かれていく、と考えている。
しかし、カルヴァン派の考え方は、「神は絶対だから、人間は生まれた時から死んだ後に、天国に行くか地獄に行くか、全て決められている」と考える。
だから「自分は天国に行けるかどうか分からないけど、天国に行く事ができる人間はきっと勤勉な人間であるはずなので、一生懸命働こう」と考えるのである。
だから「自分は天国に行けるかどうか分からないけど、天国に行く事ができる人間はきっと勤勉な人間であるはずなので、一生懸命働こう」と考えるのである。
宗教改革で生まれた新しい宗派であるプロテスタントは、ヨーロッパでカトリックから迫害を受け、新天地のアメリカ大陸を目指すことになる。
だからアメリカの建国の精神は、プロテスタントの考え方が定着しているのである。
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