1991年1月から2月にかけて、青森県知事選挙が行われた。
青森には六ケ所村があるから、原発推進派と反対派、そしていつの時代にも一時凍結派がいる。
青森には六ケ所村があるから、原発推進派と反対派、そしていつの時代にも一時凍結派がいる。
一時凍結派が、当時はまだ現役のプロレスラーであり参議院議員だったアントニオ猪木に、150万円を出して応援演説に来てもらおうとした。
それを聞いた原発推進派は焦り、支援団体で電力会社の集まりである「電気事業連合会(電事連)」に相談し、アントニオ猪木に「推進派の応援に来てくれ」と依頼した。
するとアントニオ猪木は、「分かった」と言って、慌てて150万円を一時凍結派に返し、推進派の応援に駆け付けたという。
推進派から貰った金額は150万円より高いのは想像できる。
驚くのが、猪木が推進派から実際に貰ったのは1億円だったという。
驚くのが、猪木が推進派から実際に貰ったのは1億円だったという。
アントニオ猪木の公設第一秘書をしていた佐藤久美子が著書『議員秘書、捨身の告白』(講談社)に、このエビソードについてしっかりと書いている。
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