徳間書店の創業者・徳間康快は破天荒な人だった。
凄まじいエビソードがある。
戦後の音楽プロデ―サーとして代表的人物の一人に長田暁二という人がいた。
キングレコードの童謡担当ディレクターを振り出しに、流行歌から民謡、クラシックまで何でも手掛け、その後ポリドールの学芸部長を経て、徳間音楽工業の常務へ徳間からヘッドハンティングされた。
戦後の音楽プロデ―サーとして代表的人物の一人に長田暁二という人がいた。
キングレコードの童謡担当ディレクターを振り出しに、流行歌から民謡、クラシックまで何でも手掛け、その後ポリドールの学芸部長を経て、徳間音楽工業の常務へ徳間からヘッドハンティングされた。
1981年の夏のある日、長田は徳間に呼ばれたところ、喪服が用意されており、「これを着て神戸まで新幹線で行ってこい」と言われた。
山口組三代目組長の田岡一雄の葬儀に代理出席してこい、という話だった。
山口組三代目組長の田岡一雄の葬儀に代理出席してこい、という話だった。
さすがにヤクザのイベントに徳間本人は行けないが、徳間は田岡への思いがあった。
そして「これを持っていけ」と徳間から封筒を渡され、新幹線で新姫路駅から車で葬儀場まで行き、受付で封筒を差し出した。
中には1億円の小切手が入っていたという。
中には1億円の小切手が入っていたという。
香典1億円のお陰で、長田の席は最上席となった。
隣が美空ひばりで、その隣が鶴田浩二、田端義夫、高倉健と並んでいた。
隣が美空ひばりで、その隣が鶴田浩二、田端義夫、高倉健と並んでいた。
徳間書店から「アサヒ芸能」という週刊誌が出ているが、ヤクザの業界内雑誌のような性格も有している。
ヤクザから、「アサヒ芸能」編集部に電話で「今度、俺は若頭取補佐になれるだろうか」という情報確認もあり、編集部の方が組の事情に詳しかったりするという。
ヤクザから、「アサヒ芸能」編集部に電話で「今度、俺は若頭取補佐になれるだろうか」という情報確認もあり、編集部の方が組の事情に詳しかったりするという。
だから徳間としては、「儲けさせてもらいました」という、ある種のお返しの1億円だったのであろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿