Amazon

2014年2月10日月曜日

ナチス党は1932年11月6日の選挙で第一党になったものの、得票率は33.1%、議席にして196議席(656議席中)にすぎなかった。
年が明けて1月30日、アドルフ・ヒトラーは首相に任命されたものの、入閣した党員はヒトラーを含め3人のみだった。
そこで、2月に入ると議会を解散してしまう。

2月27日、国会議事堂の放火事件が起きると、ヒトラーはこの犯行を共産党の策謀と決めつけて共産主義者の大量逮捕に踏み切り、さらに共産党議員の逮捕命令も出した。
その結果、3月の選挙において、ナチス党は得票率43.9%、288議席を獲得した。

その後、立法権を国会から政府に移譲する「全権委任法案」を議会に提出した。
これは事実上、ワイマール憲法を修正するもので、総議員の3分の2以上が出席し、その3分の2以上の賛成が必要だったが、与党はそれに及ばなかったため、規則を修正するなどして、なんとか賛成に持ち込み「全権委任法」を成立させた。

つまり、麻生副総理が言う「ヒトラーは、民主主義によって、きちんとした議会で多数を握って、ヒトラー出てきたんですよ」という発言は、全く歴史的事実に基づいていない事は明らかである。

0 件のコメント:

コメントを投稿