「従軍慰安婦」という用語は戦後に使われるようになった。
1973年にノンフィクション作家の千田夏光が『従軍慰安婦』と いう題名の本を出版し、これ以降、この用語が定着した。
「従軍慰安婦」という名称から、まるで従軍していたかのような誤 解をしてしまうが、実際は軍の基地周辺に慰安施設が設けられてい たのである。
1993年の河野洋平・官房長官が慰安婦問題に関する謝罪「河野 談話」を発表した後、韓国では「元慰安婦への補償」の声が高まっ た。
しかし、日本としては1965年に日韓基本条約の締結の際に、韓 国は一切の戦後補償の請求を放棄しており、法的に決着していると いう立場をとっている。
そこで、日本政府は「政府としては補償できないので、民間で償う 」という方針を打ち出し、1995年に財団法人アジア女性基金を 設立した。
設立から2002年までに5億6000万円が集まり、元慰安婦一 人あたり200万円を渡すことになった。
政府が事務費用を負担し、2007年の財団解散までに48億円を 支援した。
お金を渡す際に、その時々の総理のお詫びの手紙(直筆の署名入り )も一緒に渡された。
1973年にノンフィクション作家の千田夏光が『従軍慰安婦』と
「従軍慰安婦」という名称から、まるで従軍していたかのような誤
1993年の河野洋平・官房長官が慰安婦問題に関する謝罪「河野
しかし、日本としては1965年に日韓基本条約の締結の際に、韓
そこで、日本政府は「政府としては補償できないので、民間で償う
設立から2002年までに5億6000万円が集まり、元慰安婦一
政府が事務費用を負担し、2007年の財団解散までに48億円を
お金を渡す際に、その時々の総理のお詫びの手紙(直筆の署名入り
0 件のコメント:
コメントを投稿