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2016年1月2日土曜日

ユダヤ人は「希望」を信じる事が出来ず、ユダヤ民族には「待望」しかない。
希望にはこれからこういうふうになるという根拠があるが、待望にはそれがない。
一方、キリスト教は、イエスがメシア(救世主)という形で登場したから、人類は既に救われている、だから希望があると考える。
キリスト教では、人類史上最も悲惨だったのはローマ帝国支配下のパレスチナの紀元1世紀ということになっており、一番悲惨な所から神は自分の子であるイエスを送ってきた。
だから2000年後のアウシュビッツも広島も、イエスが現れた紀元1世紀のパレスチナに比べれば悲惨ではないという事になる。
ところが、ユダヤ教徒はそう思っておらず、もっと悪い事があるかもしれないと、過剰防衛をしようとし、過剰蓄財をしなければならないと考える。

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