日本に信託が正式に輸入されたのは1905年である。
日露戦争後の経済復興のための資金調達策として担保付社債信託法貸が制定され、金銭、有価証券、不動産などを管理運用する信託業務として発展してきた。
日露戦争後の経済復興のための資金調達策として担保付社債信託法貸が制定され、金銭、有価証券、不動産などを管理運用する信託業務として発展してきた。
第二次大戦前に、日本に進出していた米フォードやIBMが日本国内に残した資産は戦時中「敵国資産」とされた。
当時は「鬼畜米英」のスローガンが公然と掲げられており、競売にかけられ、軍費調達に転用されて然るべきところだが、なんと三菱信託などの信託銀行が管理してきたのである。
敗戦を迎え、GHQが進駐してきた際に、こうした敵国資産が開戦前と同じ状態できちんと保管されていたことに米国側は驚いたという。
特にIBMの社史には、「スリッパ1足に至るまで我々の財産は保全されていた」と明記されているという。
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