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2017年5月29日月曜日

信託が仕組として体系化されたのは海外だが、「信じて託す」という人間ならではの営みは、日本にも古くから存在した。
平安時代、828年、「庶民に広く教育の機会を与えたい」と空海は理想を抱いていた。
しかし、空海には学はあるが財はなく、この考えに賛同した貴族の藤原三守(みもり)が土地と邸宅を寄附し、京都・九条に私設の学習所「綜芸種智院」を建設した。
藤原三守が委託者で、空海が受託者となって運用し、庶民が受益者となった。
同志社を設立した新島譲は、明治時代に活躍した林業家の土倉三郎に300円を預け、植林事業で運用し、妻の八重の生活資金とするように遺言に残している。

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