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2015年5月15日金曜日

日本語の「教養」という言葉は、19世紀末から20世紀初頭に使われ始めた比較的新しい言葉である。
この言葉に最も近い外国語は、ビルドゥング(Bildung)というドイツ語で、単なる知識の集積ではなく、「知的能力を開発し、生成していく」という時間的な要素が含まれる概念である。
あるいはドイツ語のクルトゥール(Kultur)という言葉も近く、これは英語のカルチャーに当たる言葉で、ラテン語のコレーレ(colere=耕す)という言葉に由来している。
教養とは「耕す」ことによって生成する知のあり方なのである。
中世神学の世界には「総合知に対立する博識」という格言があり、断片的な俊樹を積み重ねたところで、単なる博識にすぎず、総合的な知、つまり「教養」にはらない。
断片的な知識をつなげて体系的な「物語」にする能力が必要なのである。
拘置所では、手元に置いておける本は原則3冊という決まりになっている。
他に宗教書や教育関係とか、拘置所が認めた場合は、プラス7冊まで手元に持つことができる。
石川知裕・元衆議院議員は、房で佐藤優氏の『国家の罠』と『獄中記』を読んで、「そろそろ相手はこう出てくるな」と予想していたという。
最高裁には全部で15枠あるが、割り当てがあり、業界団体の推薦かに任命される。
出身母体が刑事裁判官、民事裁判官、行政官とかで、後は弁護士、大学教授となっている。他にも8年に1人、外交官枠がある。
検察庁や裁判所から、天下り先の公証人利権(年収3000万円)を外されたら、大変な事になる。
日本では奴隷解放を宣言した人道主義者という印象が強い、米国第16代大統領のエイブラハム・リンカーンには、南北戦争で大統領でありながら軍隊の最高指揮官というもう一つの顔があった。
南北戦争を早期に終結させて合衆国の統一を維持するという政治目的を実現するために、苛烈な作戦を推し進めた。
ナポレオン以来の軍隊同士が会戦の場で決着をつけるという戦争の常識を覆して、南部の一般市民、女性や子供、老人を攻撃目標に加え、後に第一次世界大戦で展開された総力戦を先取りした。
その結果、多くの非戦闘員が犠牲になり、今でもアメリカ最多の戦死者が出たのが南北戦争である。
リンカーンの奴隷解放宣言は、明らかにフランスに向けてのメッセージであり、北軍の大義を打ち出すことで、イギリスの干渉を防ぐことに成功している。
アメリカではリンカーンは最も偉大な大統領の一人されている。
彼は残酷な作戦であっても、アメリカ史の大きな流れの中では、いずれ許されるというビジョンを持っていた。
こうした歴史の予見能力もリーダーの資質の一つと言える。
「キリスト教を始めたのは誰か」いう設問に対して、「イエス・キリスト」と答えると、高校入試や大学入試では正解とされるが、神学部の期末試験では不正解となる。
イエス自身は自らを真のユダヤ教徒と考えており、キリスト教という新しい宗教活動を始めたとは夢にも思っていなかった。
キリスト教という宗教の開祖は、生前のイエスと一度も会ったことがなく、イエスを信じる人々を弾圧していたバウロなのである。

「汝の敵を愛せ」というのはイエスの言葉として有名で、キリスト教の博愛主義を示すものと受け止められている。
敵を憎むのは人間として自然な感情で、憎しみは人の眼を曇らせ、その結果、現状を正確に認識することができなくなってしまう。
そうすると判断を誤り、結果的に自分が損をしてしまう。
つまりイエスが説いているのは、「すべての人を愛せ」という抽象的博愛主義ではなく、人々をまず敵とそうでない者に分けて、その上で「敵を愛せ」と命じているのである。
キリスト教は「自分の敵は誰か」を常に意識している宗教なのである。
敬語は、相手との距離感覚であり文化を示すものである。
例えば韓国は絶対敬語の文化で、部外者に対して上司のことを話す時も「部長がおっしゃっています」と表現し、謙譲語を使わない。
日本では近代になって身分制が廃止されて、社会がフラット化し、敬語は全て丁寧語に収束されていった。
今や敬語や謙譲語は「会社」という身分制の中で使用されている程度で、多少間違っても問題にはならない。