Amazon

2016年3月7日月曜日

パソナの会社謄本をみると1999年7月にセガの副会長だった中山隼雄が代表取締役に就任している。
当時、パソナは経営不振に陥っており、パソナの子会社の株を担保に、中山から10億円を調達したが、その後借入が増えていき、ピーク時にし40億円程に増えていた。
この融資が焦げ付きそうになったので、回収するために中山はパソナに乗り込んだという。
中山は南部靖之を経営の第一線かせ退かせ、南部が私的に利用していた人材派遣業の中核企業としてグループの頂点にあったパソナそのものを、南部の個人商店にして連結決算対象の関連企業から外し、株式公開を目指した。
中山はパソナ入りした翌年の2000年6月に、障害者派遣事業をやっていた子会社「パソナサンライズ」に、パソナ本体の人材派遣事業の営業権を譲渡させ、パソナサンライズを新たにパソナへ社名変更した。
そして、旧パソナは「南部エンタープライズ」へ社名を改め、名実共に南部親子がパソナの経営にタッチできなくした。
南部代表は、オーナーでいることだけには拘り、新生パソナ本体の株の過半数を持ち続けた。
中山が会長に就任して2年半後の2001年12月に新生パソナはナスダック・ジャパンにIPOし、さらに2003年10月には東証一部に昇格する。
東証一部に上場すると南部代表がパソナの経営をやりたいと言い出し、IPOによって借金も返済できたし、5年間の約束で覚書を交わしたのだから、お引き取り願いたいと中山に伝え、南部はパソナの代表に返り咲くのである。

0 件のコメント:

コメントを投稿