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2016年9月26日月曜日

第一次大戦では、戦艦同士の艦隊決戦は殆どなかったが、唯一といっていいのが、1916年のユトランド沖海戦だった。
デンマークのユトランド半島沖で、ドイツ海軍とイギリス海軍がぶつかり、ドイツの巡洋艦によってイギリスの戦艦が大打撃を受け、速力と運動性に優れる軽量艦による奇襲作戦の重要性が認められたのである。
そこで日本海軍は大正9年に開戦要務令の第二次改正を行う。
潜水艦や軽快部隊による先制、夜襲などの新しい作戦が盛り込まれたが、戦略そのものは「敵主隊の攻撃」と、全く変わっておらず、50点の戦艦を狙うというものだった。
日本海軍は、兵器の面で次の主役はバカでかい戦艦ではなく、航空機や潜水艦など、大量生産、大量投入する兵器の時代になるという方向性がはっきりしていたのに、キャッチアップができなかったのである。

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