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2017年3月31日金曜日

日本は海洋国家である。
海洋国家は「どこにでも行くことができる」と同時に「どこにも行かない」という選択肢も持つことができる。
その選択肢の自由を上手に活用したのが江戸期の「鎖国」システムだった。
「鎖国」と聞くと、国を完全に閉ざしているようなイメージだが、実際には鎖国時代でも日本は長崎の出島以外に3つの外交窓口を持っていた事が定説になっている。
1つ目は松前口で、松前藩を通じて、蝦夷全域、樺太や東シベリアと公益をしていた。
2つ目は対馬口で、対馬藩を通じて朝鮮半島と連絡を取り、さらに朝鮮半島を通じて、明・清との連絡を取っていた。
3つ目は琉球口で、琉球を経由して薩摩藩も明・清と貿易関係を持っていた。
日本は鎖国をしていた時期も、実質的に東アジアの周辺世界と、そして当時の世界最強国だったオランダとのネットワークを築いていた。
つまり、実体は鎖国というよりは、日本の安全保障のうえで問題のある外国との交易や宣教活動を遮断していたという方が適切なのである。

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