日本の会社や中央官庁の中には、言論の自由も沈黙の自由もない。
「言論の自由」の中で、スキャンダリズムが無視できない位置を占めている。
スキャンダリズムに関して、是か非かという議論がいつもあるが、いかなる時も「是」という立場は危険である。
スキャンダリズムに関して、是か非かという議論がいつもあるが、いかなる時も「是」という立場は危険である。
それは、国民のスキャンダルを一番握っているのは国家だからである。
例えば、国税は国民一人ひとりの所得状況を把握しており、公安警察は一部の国民の秘密を握っている。
例えば、国税は国民一人ひとりの所得状況を把握しており、公安警察は一部の国民の秘密を握っている。
つまり、「公権力」が最も情報を持っていて、かつその情報を意図的に垂れ流すことができる。
公権力にとって都合の悪い、目障りな人間のスキャンダルはリークされ公開されて、結果、激しい批判や中傷にさらされるのである。
公権力にとって都合の悪い、目障りな人間のスキャンダルはリークされ公開されて、結果、激しい批判や中傷にさらされるのである。
その一方で、権力側の人間のスキャンダルは永遠に秘匿されるのが現実なのである。
だから、国家や公権力が秘匿する情報をつかんで暴く調査報道は、現象においては警察や検察によるリークと同じスキャンダリズムであっても、ベクトルが全く違うのである。
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