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2017年2月26日日曜日

北条泰時が日本史上の唯一の革命家とみなす根拠となる事実に、御成敗式目を定めたことである。
貞永元年(1232年)に評定衆11人の起請文の上にたつかたちでこの法は定められた。
御成敗式目は完全に固有法であり、日本の歴史の中で、誠に画期的なことだった。
法制史には、固有法と継受法という区別がある。
継受法は他国の法律を自国の事情に照らして改変した上で継受した法律である。
固有法は自国で固有に定めた法律である。
日本社会には、それまで継受法しかなく、中国の律令を継受して使っていた。
ちなみに明治以降の近代法も継受法である。
それに対して、御成敗式目は日本史上初めての体系的な固有法であった。
内容の点でも文体の点でも律令とは全く独立しており、無学で漢字が苦手な武士でも、この法は理解できるようにできていた。
御逓倍式目は一種の基本法のようにもなっていき、室町時代にも武家の法としての効力を持ち続けた。
やがて式目を伝写したり研究したり講釈する学者も現れ、江戸時代には式目は教科書や教養書として普及したという。
「絵入御成敗式目」のような通俗版も刊行され、寺子屋で教科書として用いられていた。
このような状況は明治時代の初期、明治5年の学制公布後もしばらく続いていた。
近代的な学校の確立とともに、御成敗式目は忘れされたが、それまでは日本人の初等的な教養のひとつとなるほどに、広く深く浸透していたのである。

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