明治政府の中にも、平安時代における摂関家、鎌倉幕府の執権にあたるものが存在し、それは元老(元勲)だった。
元老とは明治維新に功績があったとされる9人の男性で、伊藤博文、黒田清隆、山縣有朋などが含まれていた。
元老は天皇に総理大臣を推薦する権利を持ち、天皇はその決定を承認するだけだった。
元老は終身であり、その地位や職務については、何の法的な根拠はなかった。
明治憲法を含むいかなる法にも元老の規定はなく、非公式のポジションであり、明治政府公認の組織図の中にも存在しない。
明治憲法を含むいかなる法にも元老の規定はなく、非公式のポジションであり、明治政府公認の組織図の中にも存在しない。
問題は、明治維新は一度だけの歴史的な出来事だったので、元老の後任はなく、摂関家や執権とは異なり、元老には後継者がいなかった。
従って元老は死没する度に少なくなっていき、「最後の元老」と呼ばれた西園寺公望が1940年に92歳で亡くなってしまう。
その時代は太平洋戦争の混乱期に入る頃となり、とりあえず「軍部」が元老の代わりを担うが不十分なものであった。
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