米軍海兵隊普天間飛行場の移設問題は、1996年4月に橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使との間で日米合意した。
橋本総理、小渕総理の時に野仲広務らが沖縄全島を歩いて説得し、沖縄は県内移設を一度了承してている。
しかし、キャンプ・シュワブ内で滑走路を延長し、それを軍民共用にして10~15年後に返還するという話であり、辺野古埋め立ては了承していなかった。
米軍基地内ならば知事の許可も必要なく、抗議のしようもなかったからである。
米軍基地内ならば知事の許可も必要なく、抗議のしようもなかったからである。
これは鈴木宗男と比嘉鉄也がまとめた話だった。
鈴木宗男が中川一郎の秘書だった時に、名護市議会議員だった比嘉がサトウキビ価格の問題で陳情に来たが、役人に追い返されてしまい、その陳情を鈴木が通したことへの恩返しだった。
鈴木宗男が中川一郎の秘書だった時に、名護市議会議員だった比嘉がサトウキビ価格の問題で陳情に来たが、役人に追い返されてしまい、その陳情を鈴木が通したことへの恩返しだった。
なぜ辺野古を埋め立て立てることになったかというと、鈴木が永田町からいなくなったからで、いつの間にか埋め立て利権を求める人が入ってきて話が広がってしまった。
辺野古問題は埋め立て利権そのもので、辺野古に決まった後も、滑走路がズルズルと沖にせり出して、多くの砂利を使う計画に変わっていった。
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