福島原発事故の時に、東京電力の勝俣恒久会長は北京にいた事はよく知られているが、その時にマスコミのOBみたいなグループと一緒だったという。
『週刊現代』編集長だった元木昌彦氏、元『週刊文春』の花田紀凱氏、毎日や中日など新聞各社の相談役クラスと一緒だった。
引率団長が「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を作っている自由社の石原萠記氏だった。
引率団長が「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書を作っている自由社の石原萠記氏だった。
石原氏は戦後に社会党右派にいた人で、その関係でフォード財団の代理人となる。
米国政府は外交においては外国の政府を相手にし、外国の民間を相手に工作するのは、ロックフェラー、カーネギー等の財閥系の財団がその役割を担っている。
米国政府は外交においては外国の政府を相手にし、外国の民間を相手に工作するのは、ロックフェラー、カーネギー等の財閥系の財団がその役割を担っている。
当時はその中でフォード財団が対日世論工作を受け持っていて、石原氏はその使い走りをしていた。
石原氏は、『月刊自由』という雑誌を創刊し、左派が全盛だった時代の日本のメディア界で、保守論壇というものの先駆けとなっていた。
1969年に文春が『諸君!』を創刊することで実質的には力を失って覇権を取られてしまうが、それまで60年代の保守論壇では『月刊自由』の存在感は大きかった。
1969年に文春が『諸君!』を創刊することで実質的には力を失って覇権を取られてしまうが、それまで60年代の保守論壇では『月刊自由』の存在感は大きかった。
『月刊自由』は単なる雑誌というだけではなく、保守系の言論人を育成する役割を担っていた。
シンポジウムや会合を主催し、たくさん人材を集めて育てていた。
この石原氏の活動は、フォード財団と直にやり取りをするのではなく、日本の財界人とやっていたという。
新日鐵の藤井丙午、東電の木川田一隆らで、最も頻繁に接触していたのは木川田の子分である平岩外四だったという。
それ以来、石原氏のスポンサーは東京電力となった。
シンポジウムや会合を主催し、たくさん人材を集めて育てていた。
この石原氏の活動は、フォード財団と直にやり取りをするのではなく、日本の財界人とやっていたという。
新日鐵の藤井丙午、東電の木川田一隆らで、最も頻繁に接触していたのは木川田の子分である平岩外四だったという。
それ以来、石原氏のスポンサーは東京電力となった。
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