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2018年1月16日火曜日

松下幸之助は、会社を大きくするために世の中を見て、軍人の時代になった時は、軍部とパイプを持ち、無線機部品や電池などの軍需製品以外も、木製の飛行機や船を作っていた。
戦前に松下電器が朝鮮や台湾など海外工場を含めて軍需中心の生産体制に移行していたのは事実である。
戦後、松下家と松下電器が「戦犯」と見なされ、GHQから「財閥指定」を受けると、幸之助は「財閥ではない」と東京のGHQ本部に何度も釈明に訪れている。
そこで、軍部との親しい関係会社の発展の障害となるので、「PHP(繁栄によって平和と幸福を)」運動を開始するのである。

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