1855年の日露通好条約に関して、日本側ではウルップ島と択捉島の間に国境線が引かれたことだけを強調するが、同時にサハリンは、それまでのしきたり通りということで、国境線を引かなかった。
いわゆる雑居地として、面としての国境を画定したとも言える。
附録では、樺太に国境を設けず、日本人並みに蝦夷アイヌ居住地は日本領とすることで一旦は合意した。
ロシア側は蝦夷アイヌほ「蝦夷島アイヌ」とすべきであり、日本側は「蝦夷島同種のアイヌ」にすべきだと逆提案をしたが、両者は最終的にこれまで通りとすることで折り合った。
ロシア側は蝦夷アイヌほ「蝦夷島アイヌ」とすべきであり、日本側は「蝦夷島同種のアイヌ」にすべきだと逆提案をしたが、両者は最終的にこれまで通りとすることで折り合った。
これが雑居地という意味で、ロシアは線ではなく面として樺太の国境を考えたのである。
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