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2016年8月29日月曜日

琉球に対する本土の日本人の大きな誤りの一つに、王族への対応の違いがある。
日韓併合の時には、日本は李王朝に対して李家を王族として遇して皇族化し、李王家を立てた。
しかし琉球に対しては、尚王朝がありながら、尚家は一介の侯爵にしかなれなかった。
徳川幕府は「島津の琉球入り」による尚王朝の服属後も、小国といえども国王として遇していて、薩摩藩がそれを仲介するかたちで尚寧王は家康・秀忠と面会している。
また明王朝からも冊封使が琉球に来島しており、近世の琉球は中国に対しては独立国の体裁を失うことはなかった。
明治政府は、いわゆる琉球処分に際して、尚家を王族として礼遇して琉球の独特な位置づけを尊重すべきであった。
薩摩藩の圧制に苦しんだ沖縄県民の誇りと域外への配慮が無かった。
実際に薩摩藩主と国父・久光の公爵よりも更に低い公爵に、尚家は叙任されたにすぎなかった。

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