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2016年8月29日月曜日

明治政府が、沖縄に関して起こした最大の問題は、沖縄に高等教育機関を作らなかったことである。
当時の台北にも、京城にも帝大があるにもかかわらず、沖縄には高校すらなかった。
高等教育機関に関しては、帝国大学ではないにしても、秋田高等鉱山学校や函館高等水産学校のように、地域振興だけではなく全国にアピールできる高等専門学校は欲しかった。
旧制高校がなく、高等医専や高等工業もなく、わずかに県師範学校が1943年にようやく官立(国立)沖縄師範学校になっただけである。
このように戦前の日本政府の沖縄に対する文教政策は酷かった。
アメリカはこの点をよく研究しており、「民事ハンドブック」という占領マニュアルの中で、教育差別が激しいと指摘しており、逆に戦後になってからミシガン州立大学が中心になって、琉球大学を作った。
奄美に関しては、未だに高等教育機関はなく、短大さえもなく、奄美高校が最高教育機関である。
昔は「奄美群島区」という選挙区まであったにもかかわらず。
大切なのは、その地域の中心となる高等教育機関の存在なのである。
戦前、戦中の沖縄には、高等教育機関を通じた巡礼メカニズムができなかったが、戦後にそれを作ったのがアメリカである点がねじれている。

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