重慶で対日抗戦を指導していた中華民国の蒋介石は、米フーバー研究しよに保管している自筆の日記によれば、日本のポツダム宣言受諾とほぼ同時に、日本軍の占領から離れた香港を英国から取り戻すことを画策し、英国東洋艦隊の香港到着より先に占領部隊をなんかさせようと動き始めている。
結果的には思いは果たせなかったものの、蒋介石は「欧米と対等の連合国指導者」という自負の下で、失われた中国領土の回復を目指した。
1945年末に西沙(パラセル)諸島の接収に着手した中華民国は、翌年には南沙(スプラトリー)諸島をはじめとする南シナ海全域の島嶼接収に乗り出している。
今日、中華人民共和国が南シナ海全域を支配権といる上で境界線と主張している「九段線」は、一般には1947年に中華民国内政部(内務省)が南京で制定したものが原形とされている。
島嶼は、南シナ海をU字形に囲む9本の破線のほか、トンキン湾に2本の線が引かれていたことで、「十一段線」だったが、これを引き継いだ中華人民共和国が、北ベトナムとの当時良好だった近隣関係に配慮して、現在の「九段線」に改めた。
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