1890年に大日本帝国憲法に基づいて発足した帝国議会は、総選挙で当選した議員の集合体である衆議院と、皇族・華族・多額納税者から選ばれた貴族院で構成された。
明治憲法下では、衆議院がわずかに予算案の先議権を持つ以外、対等の地位と権限を持つものとされた。
明治憲法下では、衆議院がわずかに予算案の先議権を持つ以外、対等の地位と権限を持つものとされた。
明治憲法では、帝国議会の主要な権限は次のように規定されていた。
第37条 凡て法律は帝国議会の協賛を経るを要す
第64条 国家の歳出歳入は毎年予算を以て帝国議会の協賛を経るべし
第64条 国家の歳出歳入は毎年予算を以て帝国議会の協賛を経るべし
両条文にある「協賛」とはスポンサー的な意味であり、帝国議会は提出される法律案や予算案に拍手を繰り返し、その成立を喜んであげるような役割しか与えられていない議会だった。
しかし、天皇大権のもと、法律・予算の決定権を含めて国家的権限を全て握っていた天皇が、一方で自己の意思を政治的な決定の場に持ち出さない存在(宮中・府中の別)でもあったため、天皇が議会決定を明確に否認した例は無かった。
つまり、議会の決定を常に天皇の意思とする慣行が成立していた事を意味する。
つまり、議会の決定を常に天皇の意思とする慣行が成立していた事を意味する。
法律案や予算案についての「協賛」という弱弱しそうな権限を持つだけにみえる帝国議会は、事実上は法律案や予算案を決定できる力を行使していくことになる。
明治憲法下の帝国議会が力を発揮できたと言っても、現在の昭和憲法下において「国権の最高機関」とされた国会と比較すると権限は限定てきで不完全なものに過ぎなかった。
また、衆議院には国民の意思が反映しているとは言っても、選挙権の有無は直接国税の納入額で決まったので、当初の有権者数は全人口の1.1%しかなく、極めて不十分だった。
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