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2016年9月9日金曜日

明治憲法には、第67条に「国会議員の中から国会の決議で、これを指名する」としかなく、首相の選対方法について何処にも規定が無かった。
そのため、1885年(第一次伊藤内閣)から1901年(第四次伊藤内閣)までの期間は、最初の政党内閣である第一次大隈内閣(1898年)を唯一の例外として、薩長出身の藩閥メンバーが自ら首相を務めた。
具体的には伊藤が4回、山縣2回、松方2回、黒田清隆が1回である。
20世紀初頭以降は、藩閥メンバーは政治の第一線から退くが、政界の最上層に位置する元老として、国政に影響力を行使し続けた。
この元老たちの最大の仕事の一つが、後継首相の選定だった。
従って1901年に組閣した桂太郎以降の首相は、元老の政治判断によって選ばれ、それから天皇に任命される形式をとった。
この元老制度は、1940年に最後の元老である西園寺公望が亡くなりと共に消滅し、以後の後継首相の選定は、内大臣の木戸幸一(枢密院議長)と協議する方法へと移行していく。

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