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2016年9月9日金曜日

関東軍は、満蒙権益を管理していた行政機関である関東都督府の陸軍部を前身にしている。
ロシア革命後の1919年に、従来の関東都督府に代わり関東庁がおかれた際に、陸軍部が独立して関東軍となった。
陸軍の仮想敵国はソ連であったため、関東軍は設置当初から、旅順・大連・南満州鉄道などの日本の大陸利権の防衛に当たり、対露作戦の際には、最前線部隊の役割を担うこととなっていた。
1928年10月に満州に赴任した石原莞爾は、1929年7月に、ソ連との戦争を想定した調査を行うための偵察旅行を実施している。
満州の北方をソ連との国境に至るところまで、延べ数千キロに割って視察し、地形や情勢・戦略を徹底的に討議している。
結果、日本の勢力下にある南満州は平原部分が多く、ソ連軍の侵攻を仮定すると、その防衛は地形的に困難であり、満州の北方まで占領して黒竜江(アムール川)沿いにつづく興安嶺山脈を天然の要塞とすることが国防上、必須と判断したという。

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